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東北地方太平洋沖地震 (2011.3.11) から3年経った

3月11日、それは誰もが忘れられない日。
私はその日、つくばに学会発表のためにいました。
それは学会発表が終わって、ほっとして聴講していた最後のセッションの
途中に起こりました。大きなゆっくりとした揺れ、そしてその時、
阪神淡路大震災を思い出しました。

長いゆっくりと大きなゆれ、震源地まで距離があるのではとそのの経験からも
思いました。阪神淡路大震災の時、当時住んでいた京都の伏見は震度5弱。
そして、東北地方太平洋沖地震の時、つくばは震度6強。
所謂帰宅困難者となり、一晩そこで過ごす事になりました。
幸い、避難したところは急遽避難所になり、現地の方の暖かい対応。
現地の方々も本当に大変な状況なのに、本当に有り難かったです。
そして学会の先生方にも大変良くしていただきました。
本当に皆さんに感謝の一言です。

当時のBlogはこちらです。

・東北地方太平洋沖地震 - 筑波にて帰宅難民
・東北地方太平洋沖地震 - 筑波から京都への帰路(3/12)

帰宅後、1日後ぐらいだったでしょうか?
当時京都GTUGマネージャーの山下さんより、Hack for Japanを急遽
京都リサーチパークで開催するので、スタッフは手伝って欲しいとの
連絡をメールでいただきました。
そして、その週末はHack for Japanが京都で行われ、私はお手伝いに行きました。
当日、スタッフの奥さんで阪神淡路大震災の経験者の方から、
貴重な話も伺いました。
阪神淡路大震災の時、私は京都の赤十字病院の臨床検査技師でした。
東北地方太平洋沖地震の後、私が当時勤務していた病院からも被災地の同じ赤十字病院へ
その後も派遣されているそうで、私も勤務していたら行っていたのだろうかと
ふと今でも思います。

Hack for Japan当日は私はお手伝いだけだったのですが、その後自宅から原発までの
距離がわかるアプリをGoogle Maps for Flashで作る切っ掛けにもなりました。
このアプリはAIRですが、いずれ動かなくなります。
FxUG勉強会用に作ったものなので、これはいずれ移植します。
Code for Japanのイベントに関わりがあったのも、京都のオープンデータに
関わっているもの、このご縁が切っ掛けだったように思います。

震災はまだ終わっていません。
福島第一原発はまだ収束していません。
そして、今度は南海トラフ大地震がいずれやってきます。
最悪の場合、M9とも言われ、津波は高槻までやってくるとも言います。
忘れずにそれに備えないと行けない状況です。

そして、そのモバイル学会は明日です。
モバイル学会は毎年この時期で、先生方とお会いする度にその時のお話が出ます。
皆さん毎年元気にお会いできるのは何よりです。
今年も参加したいと思っています。

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